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高松地方裁判所観音寺支部 昭和49年(ワ)46号 判決 1976年10月25日

原告 土井正樹

右訴訟代理人弁護士 高村文敏

同復代理人弁護士 金沢隆樹

被告 扶桑建設工業株式会社

右代表者代表取締役 谷欣一

被告 詫間町

右代表者町長 松田幸一

右両名訴訟代理人弁護士 徳田恒光

主文

一、被告らは各自原告に対し金八一三、一五五円及び右金員に対する昭和四八年八月七日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担、その余を被告らの連帯負担とする。

四、この判決の主文一項は原告において被告扶桑建設工業株式会社に対し金三〇〇、〇〇〇円の担保をたてたときは同被告に対し仮りに執行することができる。

事実

第一、原告は「被告らは各自原告に対し金一、五六二、六五〇円とこれに対する昭和四八年八月七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被告らは「原告の被告らに対する請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告の請求の原因

一、原告は昭和四八年八月六日午後八時一〇分ころその所有の軽乗用車(八奈ひ一三九八)(以下「本件自動車」という)を運転して、香川県三豊郡詫間町大字詫間八八九番地先交差点(通称池尻十字路)(以下「本件交差点」という)を東西に通ずる道路(以下「本件道路」という)を東から西に向って進行していた。

二、ところで、被告会社は被告町より水道工事を請負っており、被告会社の被用者であり右工事の現場責任者であった石田博は昭和四八年七月一七日から本件道路の本件交差点付近において右工事を行った。

三、右工事のため、本件交差点付近においては本件道路表層のアスファルト舗装が除去され、工事現場たる右除去部分と非除去部分との間には段差があったうえ、右除去部分の表面は平坦でなく凹凸があり、更に、右除去部分内に制水弁が突起していた。

四、かかる道路状況の故に、本件道路を通行した本件自動車は本件交差点付近において突然右制水弁等に乗り上げ、そのため原告はハンドル等操作の自由を奪われ、本件自動車は付近に駐車中の峰久組所有のジープに激突した。

その結果、原告は顔面切創等の傷害を負ったのみならず、右ジープを破損し、本件自動車や原告着用の眼鏡も大破した。

五、そして、石田博は前記三のごとき道路状況を作り出しておきながら、これを埋めて路面を平坦にするかまたは危険標識を設けるなどして道路通行者の危険を防止しなければならないのに、漫然とこれを放置していた過失がある。そして、右は被告会社の事業の執行につきなされたものであるから、被告会社は民法七一五条に基づき本件事故により原告の被った損害を賠償する責任がある。

六、また、本件道路は前記三のごとき道路状況にあったものであるから、道路の管理にかしがあったというべきである。そして、被告町は本件道路の管理者である。よって、被告町は国家賠償法二条に基づき本件事故により原告の被った損害を賠償する責任がある。

七、本件事故により原告の被った損害は次のとおりである。

1、治療費

昭和四八年八月六日から同年九月九日まで河田外科医院に入院、同九月一〇日から一〇月五日まで同医院に通院し、治療費三〇、三八〇円を支払った。

2、入院雑費

一七、五〇〇円(入院一日につき五〇〇円の割合による)

3、物損

(一) 眼鏡破損代替費             二七、〇〇〇円

(二) 本件自動車車両牽引料           七、〇〇〇円

(三) 右車両全損補填費           一五〇、〇〇〇円

(四) 訴外峰久組に支払ったジープ破損賠償金 一三四、二〇〇円

計三一八、二〇〇円

4  休業補償費

(一) 欠勤による給与の減額分         二四、五七〇円

(昭和四八年八月分―三、七八〇円、同九月分―一一、三四〇円、同一〇月分―八、五〇五円、同一一月分―九四五円)

(二) 賞与逸失分               二一、〇〇〇円

5、後遺障害補償費

原告の顔面には一二ヶ所の切創があり、整形外科手術が必要であるところ、その手術料は一五〇、〇〇〇円である。

また、そのための初診料一、〇〇〇円を要した。

6、慰謝料

原告は、本件事故当時、松下電器産業株式会社ガス事業部に勤務しており、かつ、独身の男性であるが、本件事故により長期欠勤を余儀なくされたため安定しかつ良好な職場を退職せざるをえなくなり、かつ、顔面に醜状を残すところとなり、職業や結婚に対する将来の不安を強く感じているのであって、受けた肉体的苦痛とともに精神的苦痛もはかりがたく大きいものがある。

しかも、本来安全であるべき道路上において予期しえない障害物により傷害を蒙ったのであるから、慰謝料の算定においてもこれらの事情を十分に考慮すべきある。

よって、慰謝料として一、〇〇〇、〇〇〇円が相当である、

八、よって、原告は、被告ら各自に対し、金一、五六二、六五〇円とこれに対する事故発生の翌日である昭和四八年八月七日から支払いずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、請求の原因に対する被告らの答弁

一、請求の原因一項の事実は不知。

二、同二項の事実は認める。

三、同三項の事実は否認。本件交差点付近は本件事故直前の七月二八、九日に埋設した水道管の上に新しい良質の土、砕石、花崗土を順次埋め、ランマーで土を締め固め、その上へプライマーコートというアスファルト材料を散布し、更にその上へ砂を入れて固めていたため、車輛は十分通行できたのであり、現に多数の車輛がその後本件現場を通行したが事故は一切生じていない。また、本件工事跡には目測で二、三糎程度の高低がところどころにあったとしても、大きなくぼみではなく、原告がハンドルをとられるようなショックを与えるくぼみや制水弁等突起物は存在しなかった。

四、同四項の事実中、本件自動車が突然制水弁等に乗り上げた点は否認、その余は不知。

五、同五項の事実は否認する。

六、同六項の事実中、被告町が本件道路の管理者であることは認め、その余は否認。

第四、被告らの主張

一、本件交差点は四つ角であり、横断標識、反射鏡、十字路標識もあったのであり、しかも道路の一方は建物のため見通しが悪く、いつ歩行者が交差点付近の横断をするかもしれないのであるから、自動車運転者の常識として、制限時速四〇粁で交差点に近づく場合でも、その直前で減速徐行し、いつでも停車できるような速度で前方左右を注視しながら安全運転をする義務がある。

二、しかるに、原告は右義務に違反し、制限時速を一〇粁以上超える時速五〇粁以上の速度で本件交差点に入り、しかも減速徐行もせず、急ブレーキも踏まず、アクセルを踏んだというのであるから、本件事故は原告の右安全運転義務違反(道交法七〇条)に基因するものであり、右違反がなければ本件事故は回避できたこと明白である。

三、よって、本件事故発生の責任は全部原告の右過失にあり、原告の自損行為である。

第五、被告らの主張に対する原告の答弁等

一、一項の事実中、本件交差点に被告ら主張の道路標識が存在していたことは認める。

二、同二項の事実につき、原告に速度違反があったとしても、そのことと本件事故との間には因果関係はない。

また、原告がアクセルを踏み間違えたとしても、それは制水弁等に乗り上げたショックによるものであるから、原告の過失ということはできない。

三、同三項の主張は争う。

第六、証拠≪省略≫

理由

一、被告会社が被告町より水道工事を請負い、被告会社の被用者であり右工事の現場責任者であった石田博(以下「石田」という)が昭和四八年七月一七日から本件道路の本件交差点付近において水道工事を行なったこと、被告町が本件道路の管理者であることは当事者間に争いがない。

二、右事実のほか、≪証拠省略≫を総合すれば次の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(一)  被告会社は昭和四七年六月ごろ被告町より被告町上水道第四次拡張事業工事として水源地から配水地までの送配水管埋設工事(以下「本件工事」という)を請負った。本件工事は本件道路路線上においてもなされたものであるが、その工事内容を詳説すれば、本件道路はアスファルト舗装道路であったので、まず送配水管を埋設しようとする個所付近の在来アスファルト舗装を剥離除去し、その下の土を路面より約一・四米の深さまで掘削(床掘り)して溝を作り、その中へ路面より深さ約一・二米の位置に送配水管を埋め(場合によりこれを在来送配水管と接続させる)、管の周囲には良質の砂を充填し、その上に砕石を詰め、その上に花崗土を二ないし三糎の厚さに入れ、その上にランマー(加圧機)をかけて締め固めをし、その上へプライマーコート(タール系黒色液体、路面を固める糊の作用するもの)を噴霧し、その上へ砂を散布(プライマーコートと砂の厚さは合計約一糎)し、その上へ在来アスファルト舗装と水平になるように新たなアスファルト舗装をするというものであった。そして、この最終工程たる新たなアスファルト舗装がなされた状態を仮復旧といい、被告会社の請負った本件工事の内容は仮復旧までであった。(ちなみに、本復旧とは、仮復旧のままでは在来アスファルト舗装との継ぎ目が随所に生じ、路面全体が必しも一様に平坦ではなくなるため、仮復旧後に道路の起点から終点までの全面にわたって上載せ(うわのせ)アスファルト舗装をすることをいうが、これは本件工事には含まれていなかった。)なお、送配水管の要所要所において制水弁を取付けることになっており、その場合は、制水弁の防護のためその周囲に制水弁ボックス(鋳鉄の円筒の外周にコンクリートブロックを巻いたもので直径五〇ないし六〇糎)を路面まで数段(一段の高さは一〇ないし三〇糎)積上げ、最上段には、上部に円形鉄蓋(直径二〇ないし四〇糎)の付いた制水弁ボックス(以下「鉄蓋付制水弁ボックス」ということがある)を設置し、右鉄蓋の上面が在来アスファルト舗装の表面とほぼ水平になるように工事するもので、右制水弁及び制水弁ボックスの設置も被告会社の請負った本件工事の内容に含まれていた。なお、在来送配水管に取付けられていた在来制水弁も右と同様な制水弁ボックスによって防護されていたものである。

(二)  本件工事のごとき工事を道路上で行なう場合には、工事着手に際し、工事現場に工事標識を設置して一般の通行を遮断し、仮復旧が済んだら右標識を撤去し一般の通行を許すのが慣例になっていた。

(三)  被告会社は前記のように昭和四七年六月ごろより本件工事に着手し、本件道路路線上においても順次工事を進めてきており、昭和四八年六月現在、本件交差点付近においては、東(石川橋方向、別紙図面参照)は同交差点中心より東約一五米の地点まで、西(仁尾町方向)は同交差点中心より西約二五米の地点まですでに本件工事のほか本復旧まで済んでおり、その間に狭まれた同交差点を中心とする東西約四〇米の区間のみ工事未着手(以下「本件工事未着手区間」という)であった。そして、本件工事未着手区間における本件工事は同年七月一七日より開始されることになったが、右工事についての被告会社の現場責任者は同会社の被用者である石田であった。同人は本件工事未着手区間のうち、まず同年七月一七日に別紙図面のうち縦線を施した部分、同月一八日に同横線を施した部分、同月二八、二九日に同斜線を施した部分につきそれぞれ本件工事をなした(以下、右斜線を施した部分を「本件工事部分」という)が、本件工事部分を含む右三つの工事部分につき、少くとも本件工事の最終工程である在来アスファルト舗装と水平になるような新たなアスファルト舗装工事についてはこれをなさず、仮復旧が済まないままの状態で工事標識を撤去(本件工事部分については同月二九日午後四時ごろに撤去)し一般の通行を許してしまったものである。なお、本件工事部分中別紙図面記載Aの位置には従来から制水弁が設置されてあり在来アスファルト舗装の表面とほぼ水平に鉄蓋付制水弁ボックスが存在したが、石田は同月二八、二九日の本件工事部分の工事の際、同図面記載B、Cの位置に新たに鉄蓋付制水弁ボックスを設置したものである。

(四)  ところで、本件道路は本件交差点付近において自動車の通行がひんぱんであって、バスやダンプカー等大型で重量の大きい自動車も通行しており、また、本件交差点は十字路交差点であって当然同交差点において左折または右折する自動車もあったものである。

(五)  石田が前記のように本件工事部分を含む三つの工事部分につき仮復旧をしないまま一般の通行を許した後、後記認定の本件事故までの間に、本件交差点の南西角に存在する石川商店こと石川幸雄方では、降雨の後には泥水が飛び込む、晴天時には砂ぼこりが舞い込む、更には小石が飛び込んできてガラスが割れる等の被害を受けていた。

(六)  原告は同年八月六日午後八時一〇分ごろ本件自動車を運転して時速五〇粁で本件道路中央線左側のほぼ中央付近を仁尾町に向うべく東から西に向って進行し、交通整理の行なわれていない本件交差点に差しかかった。(なお、本件交差点において本件道路が優先道路であったことを認むべき証拠はない。)ところで、原告が運転免許を取得したのは昭和四六年一月であるが、以来交通事故を起したことはなかった。原告が本件道路を自動車で通行するのは三年振りのことであり、また、本件自動車は軽四スバル三六〇ccで、車体後部にエンジンが搭載され、車体前部はトランクになっていた。当時原告は右トランク内にスペアタイヤ一本を積んでいただけであり、同乗者もなかった。当時、あたりは相当暗くなっており、本件交差点北西角には水銀灯が設置されていたものの、走行中の自動車運転席で約二〇米手前から本件工事部分を見た場合、その存在をはっきり認識することは困難な状況にあった。他方、本件交差点付近の本件道路には最高速度四〇粁の指定があり、同交差点の東西には横断歩道標識等もあった。そして、原告は右最高速度の指定標識の存在には気付かなかったものの、同交差点の存在は認識していたもので、同交差点手前右側には富士建設の建物が存在していて見通しがきかないが、手前左側の見通しはいいうえ、対向車や人の通行もなかったので、時速五〇粁のまま減速せずに本件交差点に進入したところ、突然本件自動車の車体が約一五糎落ち込みすぐまた右側の前輪が約一五糎の高さの突起物に乗り上げたような衝撃を受けるとともに原告の身体が激しく左側に傾いたので、原告は急きょハンドルを右に切った。そして、同時にブレーキを踏んだつもりであったが、右衝撃により身体の平衡を失ったために誤ってアクセルを踏んでしまった。そのため、本件自動車は右斜前方に急速度で進行し道路右脇に停車中の峰久組こと峰久照行(通名、武廣)所有のジープに接触してこれを破損したうえ、更に進行を続けて道路右側端の鉄柱(本件工事部分よりこの鉄柱までの距離は三十数米)に激突し、前部トランクが右鉄柱に食い込み、また、ボディに車輪が食い込むなどして車体半分がつぶれたあげくようやく停車した。その際原告はフロントガラスに顔面をぶつける等して、眼鏡をこわしたほか、顔面切創(十二ヵ所)、左肘打撲、右膝擦過傷、頸椎捻挫、腰部捻挫の傷害を受けた(以下「本件事故」という)。

(七)  本件事故直後に右事故を知って集ってきた付近住民らは原告に対し「いつかは事故が起ると思い被告町の水道課へ早く工事をしてくれと何回も電話したが、工事が大幅に遅れているとの返事だった。」と語り、連絡を受けて同事故現場へ赴いた原告の友人松下利治も「ここはよう事故が起きるんですわ、早く直さんけんなあ。」との付近住民の声を耳にし、同事故の翌日本件自動車の引取りに同事故現場に赴いた久保富則も「ここは危いのでいつかこんな事故が起ると思っていた。」との声を耳にしたものである。また、原告が昭和四八年九月一〇日ごろ同事故現場を再訪したときに付近住民の一人が原告に対し「当時制水弁が突出していたのでそれに乗り上げたのだろう。」と言って別紙図面記載A、Bの鉄蓋付制水弁ボックスのいずれか一つを示したものである。

(八)  本件事故につき捜査に当った高瀬警察署警察官塩野康雄は事故の翌日香川県土木事務所観音寺出張所に対し「昨夜工事跡でハンドルを取られたという事故があったので一応現場をよく見ておくように。工事をしたのが被告町の水道課であるのならばそちらへも連絡してくれ。」との趣旨の電話をしたところ、同出張所は被告町水道課に対し「早く仮復旧工事をせよ。」との電話をし、同水道課は石田に対し同旨の電話をし、その結果石田はその三日後の同年八月一〇日に本件工事部分を含む本件交差点付近の前記三つの工事部分の仮復旧工事を完了するとともに、契約外のサービスとして本件工事未着手区間の本復旧工事をもなした。

三、以上の諸事実に、≪証拠省略≫を総合すると次のとおり認められ(る。)≪証拠判断省略≫

本件道路の本件工事部分(その大きさは別紙図面記載のとおり南北は約四米ないし約六米、東西は一米ないし二・八米である。)は同年七月二九日午後四時ごろ仮復旧が済まないままの、いわば工事中途の状態で石田により工事標識が撤去され一般の通行が許されたため、日数が経つにつれて、厚さ合計が約一糎にすぎないところのプライマーコートと砂から成る表層が、ひんぱんに通る自動車とくにバス、ダンプカーや右左折車の通行により次第に削り取られて、内部の花崗土や砕石が露出し、更にこれら花崗土や砕石もが右車両の通行により削り取られたりはね飛ばされたりして凹みが出来、それが次第に深くなっていったものである。そして、本件事故当時における本件工事部分の状態は、多少の高低はあったものの、路面(在来アスファルト舗装路面)より平均約一五糎低く凹んでおり、その表面は砕石と花崗土が混合した状態で露出し、その上を人間が歩くと一、二糎は落ち込むような柔かな感じであったうえ、本件工事部分内に存在する別紙図面記載A、B、Cの鉄蓋付制水弁ボックスのうち道路中央線南側(西行車線上)には少くとも同記載Aのそれが突出した状態になっていた(元来同鉄蓋付制水弁ボックスは、その鉄蓋の上面が路面とほぼ水平に設置されていたが、その周囲が前記のように路面より約一五糎低く凹んだため相対的に周囲より約一五糎突出した形になったものである。)もので、本件工事部分を通行する西行車両の右側の車輪が右の凹みに落ち込み更に右Aの鉄蓋付制水弁ボックスに乗り上げることにより、同車両の運転者がハンドルを取られたり身体の平衡を失ったりする危険性があったものである。また、本件事故当時本件工事部分の付近(東西)には工事標識や赤色標識灯の設置はなかったものである。

右によれば、本件事故当時本件道路の本件工事部分は道路としての安全性に欠かんのある状態にあったものというべきである。

四、以上によれば、本件事故当時本件道路の本件工事部分が右のごとき道路としての安全性に欠かんのある状態にあったことが原因で、原告の運転する本件自動車が路面より約一五糎凹んだ本件工事部分に落ち込みすぐまた右側の前輪が約一五糎突起した前記Aの鉄蓋付制水弁ボックスに乗り上げ、そのため原告は激しい衝撃により身体の平衡を失い適切な運転操作ができないまま本件事故が発生したものというべきである。

五、そして、石田としては、道路での水道工事施行者たる被告会社の被用者たる現場責任者として、道路面を掘削したならば速かにその復旧(本件では仮復旧)をなしもって道路交通上の危険を生ぜしめることのないようにするべきであり、それができない場合には、仮復旧までの間、工事標識、赤色標識灯を設置し続ける等して同所を通行する人車に対する危険発生の防止措置を講ずるべき注意義務があるところ、同人にはこれを怠りもって本件事故当時本件道路の本件工事部分に前記のごとき安全性を欠く状態をもたらしめた過失があるものというべきである。そして、同人の過失と本件事故発生との間には相当因果関係があり、右過失は被告会社の事業の執行に関するものであるから、被告会社は民法七一五条により右事故により原告の被った損害の賠償義務があるというべきである。

六、また、前記のように本件道路は本件交差点付近において自動車交通がひんぱんであったのに、本件事故当時前記のごとく本件工事部分において道路としての安全性に欠かんのある状態にあったものであるから、本件道路の管理についてかしがあったというべきであり、被告町は道路管理者(被告町が本件道路の管理者であることは前記のように当事者間に争いがない)として国家賠償法二条により損害賠償義務があるというべきである。

七、なお、被告らは、本件工事部分につき同年七月二八、二九日の工事後の状態において車両は十分通行できたのであり、現に多数の車がその後本件現場を通行したが事故は一切生じていないと反論するので判断を加える。

本件工事部分につき、同年七月二九日午後四時ごろ工事標識が撤去され一般の通行が許されてから本件事故までにバスやダンプカーも含め多数の車両が同工事部分を通行していたことは前記のとおりである。そして、仮りに、その間本件事故までに事故らしい事故が発生していないとしても、

(一)  前記のように、本件工事部分は同年七月二九日午後四時ごろ一般の通行が許されてから車両等の通行により日数が経つにつれ次第に凹みが深まっていったものである。

(二)  更に、前記事実のほか、≪証拠省略≫によれば、本件道路は本件交差点を西進すると約四粁で仁尾町に達するが、本件交差点を西進する車両というのはそのほとんどが仁尾町へ出入する車両である(なるほど、本件道路は仁尾町内において、同町から南進して観音寺市に達する道路に連絡してはいるが、東方から観音寺市へ赴くには本件道路を通行すると遠回りになるからである。)ことが認められる。そして、前記のように、本件交差点は交通整理の行なわれていない交差点であり、本件道路は同交差点において優先道路ではないうえ、同所を東から西に直進する車両等にとって左側はともかく右側の見とおしはきかなかったものであるから、道路交通法四二条一号により、同車両等が同交差点に入ろうとするときは徐行すべきものとされている関係上、車両等が右法規を順守する限りにおいては本件交差点において徐行をしていたと考えられる。更に、前記のように、本件工事は昭和四七年六月ごろより開始され本件道路路線上においても順次工事がなされてきており、翌四八年七月に至って本件交差点付近(本件工事未着手区間)の工事が着手されたものであって、本件道路をよく通行する車両の運転者においては本件道路の各所で常時本件工事が行われていること及び仮復旧工事が大幅に遅れていること(前記二七参照)を十分承知しており、そのためとくに安全運転に留意していたことが推認される。

(三)  他方、原告は前記のように三年振りにあたりが相当暗い時刻に本件工事のことは知らずに時速五〇粁で本件交差点を通行したものであるほか、本件自動車は一般の自動車と異なり車体前部にエンジンがなく同部がトランク(当時スペアタイヤ一本を積載していただけ)になっており車体前部が軽いという構造の自動車であったものである。

よって、右(一)ないし(三)の事実に照らすときは、被告らの前記反論は結局理由がないというのほかはない。

八、被告らは、更に、本件事故は原告が減速徐行もせず制限速度を超える速度で本件交差点に入り、急ブレーキも踏まずアクセルを踏んだという安全運転義務違反による自損行為であると主張するので判断する。

前記によれば、本件交差点においては最高時速四〇粁の指定があったものであり、また、原告が本件自動車を運転して本件交差点に侵入するに際しては徐行義務があったものであるのに、原告は右に違反し時速五〇粁のままで同交差点に侵入したものであり、この過失ないし不注意(以下「過失」という)は本件事故の発生、損害の拡大の一因をなしたものというべきである。しかしながら、原告に右過失があるからといって本件事故が原告の自損行為であるということのできないことは前記に照らして明らかである。

また、前記によれば、原告が急ブレーキを踏まず間違ってアクセルを踏んだことはそのとおりであるが、これは、前記のとおり、原告が当時突然の激しい衝撃により身体の平衡を失ったことによるものであり、これをもって原告の過失を問うことはできない。

よって、本件事故が原告の自損行為であるとする被告らの右主張は理由がない。しかし、右のとおり原告にも本件事故の発生、損害の拡大の一因たる過失があったものであり、その過失の割合は三割であるとみるのが相当である。

九、次に、本件事故により原告の被った損害額につき次のとおり認める。

(一)  治療費     三〇、三八〇円

前記事実のほか、≪証拠省略≫によれば、原告は本件事故による負傷の治療のため、昭和四八年八月六日から同年九月九日まで河田外科医院に入院(三五日間)、同月一〇日から同年一〇月五日まで同医院に通院し、治療費三〇、三八〇円を支払ったことが認められる。

(二)  入院雑費    一七、五〇〇円

前記入院日数三五日につき一日五〇〇円の割合で計算し、入院雑費として一七、五〇〇円を認める。

(三)  物損   合計三一八、二〇〇円

1、前記事実のほか、≪証拠省略≫によれば、原告は本件事故による原告着用の眼鏡破損による代替眼鏡購入代として二七、〇〇〇円を支払ったことが認められる。

2、前記事実のほか、≪証拠省略≫によれば、原告は本件事故により道路右側端の鉄柱に食い込んだ本件自動車の引揚及び引取料として七、〇〇〇円を支払ったことが認められる。

3、前記事実のほか、≪証拠省略≫によれば、本件自動車は本件事故直前において一五〇、〇〇〇円の価値があったところ、同事故により修理不能になったため、原告は同額の損害(前記2の引揚及び引取料七、〇〇〇円という金額はスクラップ代を控除した金額と解されるので、本項においてスクラップ代は考慮しない)を被ったことが認められる。

4、前記事実のほか、≪証拠省略≫によれば、本件事故により峰久組こと峰久照行所有のジープが破損し、その修理代に七四、二〇〇円、修理期間中の代車料に六〇、〇〇〇円を要したため、原告は同人より右合計一三四、二〇〇円の支払請求を受けていることが認められる。

(四)  休業補償費 合計四五、五七〇円

1、前記事実のほか、≪証拠省略≫によれば、原告は松下電器産業株式会社ガス機器事業部に勤務していたが、本件事故による治療等のため年休一三日だけではまかなえず二六日欠勤し、その結果欠勤一日当り九四五円合計二四、五七〇円の給与減額を受けたことが認められる。

2、前記事実のほか、≪証拠省略≫によれば、右欠勤のため昭和四八年の年末賞与が二一、〇〇〇円減額されたことが認められる。

(五)  慰謝料    七五〇、〇〇〇円

前記事実のほか、≪証拠省略≫によれば次のとおり認められる。

原告は住所地の観音寺市所在の高等学校卒業後昭和四六年三月より大和郡山市所在の前記会社に勤務していたところ、前記のように本件事故のため合計三九日間勤務を休んだものであるが、同会社は以前から従業員の起した交通事故に対して厳しい姿勢で臨んでいたことから、引続いて同会社に勤務することに原告は抵抗感を覚え、安定した良好な職場である同会社を昭和四九年一月一五日付で任意退職し、郷里の観音寺市で親戚が個人経営している松下住宅設備(従業員数六名)に外交員として勤務するようになったが、給与額は前記会社勤務当時より現在の方が高い。また、原告は独身男性であるところ、本件事故により顔面に十二ヵ所の切創が生じ、右切創跡は普段はあまり明瞭ではないが、飲酒時には赤色を帯び歴然たる状態になるのであって、右整形外科手術料としては概算一五〇、〇〇〇円を要するものである。

以上の事実のほか、入通院期間その他前記諸般の事情を考慮のうえ、本件事故により原告の被った肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料としては七五〇、〇〇〇円をもって相当と認める。(なお、原告は後遺障害補償費を別項目の損害として主張しているが、右については慰謝料額算定に含めて判断した。)

一〇、右損害額の合計は一、一六一、六五〇円となるところ、原告には前記のとおり三割の過失があるのでこれを過失相殺することにより、原告は被告ら各自に対し右額の七割に当る八一三、一五五円及びこれに対する本件事故発生の翌日たる昭和四八年八月七日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができるというべく、原告の本訴請求は右の限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却し、民訴法八九条、九二条、九三条、一九六条を適用(なお、被告町に対する請求についての仮執行宣言の申立は相当でないからこれを却下)して、主文のとおり判決する。

(裁判官 古川正孝)

<以下省略>

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